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子供が楽しんでいるスポーツ教室からの退会

子供が楽しんでいるスポーツ教室からの退会を提案するのは、親として間違った事でしょうか?

先日とりあげたスポーツサンプリングと繋がる、僕の個人的な考えを紹介します。

きっかけとなったツイート

約半年前に発信した、以下のツイートに対して意外なほど反応がありました。

(”おそらくする”が、読み方によっては”退会する”と取れるかもしれませんが、”同スクールに戻る”の意味です。反省。)

  • 子供から好きなものを取り上げるなんてヒドイ親だ
  • 子供が可哀そう
  • こんな親に育てられたら将来グレる

などなど、ネガティブな感想が殆どでした。予想以上の反応があったので、最初の140字に入らなかった補足情報を追加したのが以下のツイート。

子育ては勉強と試行錯誤、自問自答の繰り返しです。100%の自信をもって教育方針を持つことなど、到底できません。親としての勉強を続け、息子達の成長に触れる中で、上記のツイートで発信した考え方が変わる事だって大いにありえます。なので、ネガティブに捉える人がいる事は驚きではありませんし、むしろ建設的・論理的な反対意見を聞いてみたいです。

特定のスポーツ習熟よりも大切なこと

現時点では、幼少期に出来るだけ多くのスポーツを経験する事の大切さを僕は信じています。息子達には、特定のスポーツが上手になる事よりも、身体を動かす事やスポーツそのものの楽しさを知って欲しいと思っています。
だからこそ、小さな片手で数えられる選択肢から選んだ「今」好きなスポーツに固執して、120種類以上あるという他のスポーツに出会い・経験する機会を失って欲しくありません。

また、オーバーユースによる怪我を抱えるアスリートと多く接してきたので、幼少期に特定の負荷と動作を繰り返す事は避けるべきだと考えています。これらに関しては、こちらの記事を補足情報として読んでいただければと思います。

自由な時間の大切さ

「週1のスクールなら、続けさせて他のスポーツを加えれば良いのに」という意見をいただきましたが、2つ目のツイートにも書いたように、「自由な時間」も大切にしているので、習い事でスケジュールを埋める事は避けています。好きな本を読んだり、家にある玩具を使って自分でテーマを決めて遊んだり、消しゴムのカスを集めたりと、外から与えられた特定の目的がない活動をする時間です。子供の創造性を養うための時間です。

こちらの記事はスポーツ・運動に特化した内容ですが、自由な遊びとしてのスポーツの重要性を説いています。

複数のスポーツを経験する事へのハードル

できる事ならば、自由な時間を確保しながら複数のスポーツを同時進行で経験させてあげたいと思います。が、難しいのが現状であり、「子供が好きだから」を理由にしたら、早期専門化が一層進む環境が整っていると感じます。

スポーツをする=チームに所属をする

僕の幼少期は、スポーツの習い事は週末で、週日の放課後は公園や校庭に集まってサッカー、野球、ドッジボールをしたり、町中で警泥をしたり、林の中に入っていって秘密基地を作ってみたりと、その時の流行り、環境、仲間次第で複数の活動がランダムに行われていました。
現在は、少なくとも僕の住んでいる周りでは、放課後にスポーツをする=チームに所属しての練習、が主流です。同じスポーツを同じスケジュールで同じコーチ陣の元で年中プレーする環境です。

週に複数回のチーム練習と、試合に勝つ意識

そして週に複数回の練習をするチームがほとんどです。最近、息子が新しいスポーツに興味を示したのですが、周辺にあるチームは全て週2-3回の練習スケジュール。同時進行で複数のスポーツを経験する事は難しくなります。

また、週に複数回の練習をするだけあって、上達の先に試合に勝つことが意識されていて、親子そろって敬遠することに。まずは家族内で遊びながらやることにしました。

こちらの記事では、試合に勝つことは子供にとってはそれほど重要でない事を示唆する報告を紹介しています。)

「辞める・離れる」そして「戻れる」という選択肢を伝える

話を戻して、一つ目のツイートで発信したかった「一方通行ではない」という考え方。一つの事をやり続ける事が美徳とされやすい文化の中で、「辞める・離れる」という選択肢があり、その権利がある事を深く知って欲しいと思っています。一度辞めたらお終いではなく、戻ってこれる事もです。

ただし、これは簡単に諦める癖や、判断に責任を持たなくなる習慣に繋がる恐れがあると思うので、さじ加減が一番難しいと感じるところです。妻ともこのトピックに関してはよく話し合います。子育てに限らず、「やり抜く力」と「方向転換のタイミングを見極める力」の両立は、僕自身を含めた大人にとっても難題です。

食べ物を使った例え

「子供が好きな事を取り上げるなんて」という感想を読んだ時に頭に浮かんだのが、食べ物を使った例えです。子供が好きだからといって、同じ食べ物をずっと与える事はしないと思います。色々な食べ物を食べ、色々な味・食感に触れ、好みが変わり、また栄養のバランスも取れます。ただし、一度・一日に食べる事ができる量は限られているので、その時に一番好きな食べ物は必ずしも食卓には上がりません。しばらくの期間、上がらない事だってあるでしょう。
スポーツに関しても同じように考えてみてはどうだろう、と思うのです。子供が好きだからといって、他の選択肢を提示、機会を提供しないのは、子供が好きな食べ物だけを与えるのと似ているのではないかと。「その時」好きなスポーツから一度離れさせて、他の経験をさせるのも親の責任ではないのか、と考えています。スポーツの早期専門化のデメリットと、複数のスポーツを経験するメリットが研究により示唆されているからです。

(自分で書いておきながらですが、この食べ物を使った例えには若干の違和感を感じています。意見・指摘があったら、お聞かせください。)

さいごに

現時点までの知識・経験・観察・議論などなどによる、僕個人の現在進行形の考えを紹介しました。この考え方が正しいとは微塵も思っていません。だからこそ、この考え方・意見に対する、考え方や意見にとても興味があります。是非、お聞かせください。